新内節とは

 江戸で確立した豊後節系浄瑠璃のひとつです。京都で誕生した一中節から独立した宮古路豊後掾の豊後節」から派生しました。始祖である、初世鶴賀若狭掾が「蘭蝶(若木仇名草)」「明烏(明烏夢泡雪)」など数々の名曲を作り座敷浄瑠璃として発展させましたが、一門の鶴賀新内が美声で人気を博し、文化年間に総称して新内節と呼ばれるようになりました。幕末には中興の祖とされる富士松魯中が優れた新曲を作りました。


研進派とは

 江戸浄瑠璃新内節の流派のひとつである研進派(けんしんは)は初代家元である新内志賀大掾(しがだいじょう)によって創流されました。

 

 志賀大掾は、芸術選奨文部大臣賞や紫綬褒章を受賞し、素語りの演奏では国立芸場主催の新内鑑賞会や、松竹歌舞伎の出語り、舞踊会での演奏、NHKのTVやFMラジオに演奏出演など多岐に渡り活躍しました。

 五代目富士松志賀太夫から、冠称・新内と改めて、新内志賀太夫となり、その後に鷹司家より掾号を拝領し、志賀大掾となりました。昭和の名人としてビクターやコロムビア、キングでの録音作品は今でもCDで聞くことが出来ます。

 

 現在の家元は新内志賀です。幼少より語りを志賀大掾に、三味線を富士松菊三郎に師事。家元と名跡の後継を志賀大掾の生前から指名されていましたが、一旦は二代目家元、高弟の志賀由郷が預かった後、三代目家元と『志賀』の名跡を襲名し、研進派を引き継いで研鑽を続けています。(六代目志賀太夫は死去、七代目は志鳳太夫に追贈。女性は太夫を名乗れないため、江戸より継承された八代目志賀となります。)